2012年10月5日金曜日

十五夜お月さん <うさぎが伝えたいこと>

10月に入り、もうそろそろ今年も終盤と思っている人も多いのではないでしょうか。

昼間の時間はまだ暑いので、私は夏のような気分でいることもありますが、もう秋。
中秋の名月も過ぎ去り、鈴虫が美しい鳴き声で季節を彩ってくれていますね。

9月30日が「十五夜」でしたが、台風の影響で夕刻から大雨と暴風になってしまいました。この状態ではお月見は無理かと思いましたが、深夜、台風が過ぎ去り、猛烈な風が空の雲をすべて吹き飛ばしてくれました。日付が変わる頃、窓の外が明るいのに気がついて外を見てみると、高いところに金色に輝いている月を見ることができました。
すすきの穂も揺れ、うさぎの模様もしっかりと見て、本当に美しい夜でした。

さて、「うさぎ」の模様と言いますが(確かにうさぎが餅つきをしているように見えますよね)、なぜ「うさぎ」という動物が、  月の模様の代名詞になったのか、ご存知ですか?

原始仏典に、お釈迦様が前世で「白いうさぎ」として生を受けた時のお話があります。


ある老人が寒い冬の山中で、お腹を空かせ凍え死にそうになっていたところ、一匹の白いうさぎがその様子を見ていました。老人は火にあたりながら、最期の時を待っていました。それを見たうさぎは老人に近づいて行きました。老人はうさぎに気づくと、うさぎを抱き上げ、優しく撫でながら、「寒いだろう、火に当たりなさい」と優しく言いました。

うさぎは感謝の気持でいっぱいになり、なんとか老人を助けたいと思いましたが、冬の山に木の実など食べるものはありません。
困ったうさぎは、自分自身が目の前の火に飛び込み、食べられることを思いつきます。

この老人を助けようと思ったゆえの行動です。
自分の命を失う悲しさではなく、老人のために命を捧げる喜びでいっぱいになりました。
ためらうこともなく、白いウサギは自ら火の中に飛び込んだのです。

老人は神様として姿を現し、自己犠牲によって老人を救った白いうさぎの慈悲の行いを後世に伝えるために、月に登らせた、というものです。

私は手塚治虫さんのファンで、マンガの「ブッダ」を初めて読んだ時、最初にこの「白うさぎ」の話があり、大きなショックを受けました。
人それぞれ、感じ方と受け止め方は違うのでしょうが、人間の問題が山積みのこの時代だからこそ、しっかりと考えなくてはならないような気がします。


十五夜→うさぎ→ブッダと話が反れてしまいましたが、美しい月明かりにピッタリの一曲をご紹介します。
奈良にある唐招提寺が2010年から大修理を行いました。その時立ち上げられたのが「唐招提寺2010プロジェクト」というもので、そのテーマ曲を雅楽師の東儀秀樹さんが発表されました。タイトルは「蒼き海の道」です。
仏教つながりになってしまいましたが、鑑真和上が六度目の航海でやっと日本の地を踏みますが、それまでに視力を失ってしまった、というのは有名な話です。鑑真和上にそこまでさせたものは一体何だったのか・・・

掘り下げて調べてみる価値がありそうです!






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