2012年4月25日水曜日

追悼・・わが家の愛猫 すみれちゃん

だいぶご無沙汰しております。
皆様いかがお過ごしでしょうか?

陽気もすっかり春らしくなり、中原教室のすぐ近くの多摩川の河川敷は、ダイコンの花や、たんぽぽ、濃いピンク色の小さいお花(名称は不明・・)が綺麗です。
今日は、昼間に少し時間が取れましたので、お散歩に出かけてみました・・・

今月5日早朝、わが家の愛猫 すみれが天国に旅立ち、しょんぼりしていた日々が続いておりましたが、やっと少し心の整理がつきましたので、公開させて頂きます。



4月5日頃はまだ肌寒かったものの、桜は満開で中目黒は混雑しておりました。

すみれは、2008年の1月8日に私が家に連れてきましたが、その時の推定年齢は7~8歳。身体はやせ細っており、鼻炎のためか呼吸のたびに鼻をズーズー鳴らして苦しそうにしていたのを今でも覚えています。私がしゃがんで撫でてあげると、膝の上にピョンと乗って身体をペタっとくっつけてくるような、とても人間慣れした猫でした。それが2007年のゴールデンウィークのことです。わが家のワンちゃんのお散歩中に初めて出会い、いつも同じコースをお散歩してましたので、毎日同じ場所で会うのですが、すみれに出会った頃、同時期にまだ目も開いていない二匹の赤ちゃん猫を保護してしまったため、すみれを連れてくるのは、家族の中で少し戸惑いがありました。

そんなこんなを家族で話し合っているうちに、寒い冬が来てしまい、もう限界をかんじたため、反対を押し切ってすみれをわが家に迎い入れました。
当時、私は仕事がとても忙しく、体力的にもキツかったので、あまり遊んであげられませんでしたが、すみれは比較的陽が当たって暖かいお部屋でゆっくり過ごしていたようです。

そんなすみれが本格的な病に倒れたのは、2010年の5月半ば。
それまでも定期的に動物病院に通っていましたが、明らかに具合が悪そうで、息苦しそうなことに気づき、大きな動物病院へ連れて行ったのです。
検査の結果、貧血、腎臓機能の低下、脱水症状、胸水が溜まり呼吸が苦しくなっている、との診断でした。
貧血の原因はおそらく骨髄の異常で、このままでは亡くなってしまう(余命宣告)、と獣医さんから話をされ、即入院、治療を開始してもらいました。
酸素室に入れられ、胸水を抜き、輸血をし、点滴、薬の投与を何度か繰り返し、なんとか一命を取り留めました。
私には、すみれがわが家に来てからあまり遊んであげなかったことが後悔の種で、その時になって「何としてでもすみれを幸せにしなければ!」と必死になっていた記憶があります。
二週間ほどして退院しましたがその後も2~3日に一回の通院生活は続き、その頃の三ヶ月ほどは仕事が終わると動物病院に行くのが恒例行事のようでした。
その甲斐もあってか、すみれは徐々に回復し、貧血も改善、安定した体調をキープすることができていました。
飲み薬の投与は続いていましたが、日々の暮らしを幸せそうに過ごしていたように思います。

次の余命宣告を受けるのは2011年6月。
急にゴハンを食べなくなり、足取りがフラついて何度も転ぶため心配しておりましたが、私の油断と、重なってしまった仕事の都合で動物病院に連れて行くのが遅れたため、急性腎不全の診断を受けました。血液検査の結果、何もしなければ、余命一週間とのこと。
頭の中が真っ白になりました。
またすみれの入院生活が始まりました。
この時、長くなる入院生活ですみれはどんな気持ちなんだろう・・・とよく考えました。狭くて、自由に動けない入院病棟で辛いのではないか・・・とか。

しかし、この一年 すみれは幸せそうにしていたし、人間の家族の中で暮らしていて、すみれはペットではなく、「家族」なんだ、とはっきり思うことが出来ました。

「良くなる可能性があるならば!」と治療を開始しました。
二週間の入院治療でしたが、最大限回復させ、残りは自宅でカテーテルからの給餌、皮下点滴、飲み薬の投与をするしか方法はなく、この時点での余命は「もって1ヶ月」でした。

退院後は通院をしながら家族で看護をし、外出も極力控え、一ヶ月ほどは何が起こるか・・とヒヤヒヤドキドキしておりましたが、すみれの様態は退院時と変わることがなく、自分でトイレに行き、おもちゃで遊び、陽の当たる場所に移動したりと、フツーにしておりましたので、すみれが危機的状況なのももの、この幸せな時がずっと続くと思ってしまっていました。

獣医さんのお話では、「奇跡」だと。
6月に余命宣告を受けてから半年・・前例が無いとのことでした。

すみれは頑張っていました(^^)

また年を越せて、2012年になりました。
通院も恒例行事で、電車にだいぶ慣れたすみれでしたが、3月11日腎不全が悪化。
余命3~4日だろう・・と。
三度目でした。
「なんとかしなくては!」と思い、点滴、薬、ゴハンをすべて完璧に時間通り行うことにしました。
すみれをお世話できる時間が本当に幸せでした。
夜中もフラついた足取りでトイレに行くのを手伝うことや、顔の近くまでお水を運んだり、毛づくろいすることがなくなったので、蒸しタオルで身体を拭いてあげたり、ブラシをかけてあげる事くらいしか私にはできないのですが、すみれはまだ私達と一緒にいたいから頑張ってるんだと思うと、勝手に頑張れるもので、ちっとも苦ではありませんでした。
4月1日、ぐったりして横になるすみれを見て、悪化しているんだと確信し、少しづつ覚悟をしていた頃でした。
4月5日早朝、日が昇る前から具合が悪くて寝ていられなかったのでしょう。必死にトイレに行って、またベットに戻りました。その数時間後、またベットから出てきましたが、苦痛のためか横になり息を引き取りました。最後に、ニャーと鳴いて挨拶をしてくれました。


最後は私がずっと手を握って看取ることが出来ました。

すみれは幸せだったのか?疑問に思うこともありますが、
すみれの表情や行動から、短い間だったけれどわが家に来て幸せだったんじゃないか・・
と思うことができています。

長い間すみれを診てくださった獣医さんからも、最高の治療と、看護、すみれは「予想をはるかに上回る生命力だった」、とお言葉を頂きました。

すみれも頑張ったし、私たち人間も頑張れたと達成感とともに、すみれのお世話を最後まですることができて、本当に幸せでした。

今、すみれはお墓に眠ってるわけではなく動けないわけでもないと思います。
まさに、「千の風」になったと思うのです。


みなさんももう御存知の曲だと思いますが、「千の風になって」は今の私を慰めてくれますし、
本当にすみれがそばに居てくれるような気配をかんじさせてくれます。


「千の風になって」

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を 吹き渡っています

秋には光になって 
畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように 
きらめく雪になる
朝は鳥になって 
あなたを目覚めさせる
夜は星になって 
あなたを見守る

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を 吹き渡っています

千の風に
千の風になって
あの大きな空を 吹き渡っています




これは私から、すみれへのメッセージになりますが
「すみれちゃん、うちの子になってくれて本当にありがとう。」
すみれは私たち家族を幸せにしてくれました。

長くなりましたが、動物と一緒に暮らしている皆様、これから動物を家族に迎えようとしている皆様、人間の言葉を話せない動物たちは、人間を幸せにしてくれます。
どうかそのお返しに、動物たちを幸せにしてあげてください。

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 毎日雨続き。 災害も起こるほどの雨。気候変動を止めない限り、日本は自然災害に悩まされそう。 他人事ではないレベル。自分の世代だけでなく、次の世代が生きる世界が安心して生きられる世界にしたい。 さて、新型コロナの流行から一年半。毎日のマスクにも慣れたものの、まだまだ人々の生活はも...